第四話:君と彼女の間に
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 だるい。目蓋を開けることすら億劫だ。
「…………」
 何処だここは?
 目覚めた俺は横向きに寝ていて、目の前ではシモナが林檎をウサギの形に加工していた。
 薄目を開けたまま俺が寝かされている部屋を見る。薄く汚れた白い壁、緑色したリノリウムの床、粗末なパイプベッドやシモナの座るパイプ椅子。どうやらここは病院らしい。かすかに痛みを覚えた腕には点滴のチューブが繋がっていた。
 意識を失った瞬間は覚えているが、その後が非常に曖昧だ。
「あとで説明するよ」
 足を組んで宙に浮かぶカシマが本を読みながら言った。直接俺の脳に情報を伝えないということは、なんでもないことか逆に重要なことか。
 とにかく俺が生きているというのは良しとして、他の奴らはどうなのだろう。あの男はグリムを狙っていたようだし。
「起きたなら声を掛けてください。驚きます」
 目を開けている俺に気付いたシモナがウサギの首を切り落とした。勿論林檎のだが。
「ああ、だるくて」
「そうでしょうね。あと少し血を失えば死んでいたそうですから」
「あー、何で生きてるんだろう俺」
 あの時は考える暇が無かったが、今思うと絶対死ぬ傷だと思う。傷口を確認するため、首に手を持っていく。
「お?」
 首の傷は木の根のようなもので縫い合わされていた。僅かだが皮膚に溶け込んでいるようにも感じられる。カシマの仕事だろうか。
「さて―――」
 何で抜刀するんだお前は。
「私が仕事に行っている間に何が起こったか聞かせてもらえますか? あなたの口から。
 どうやら相当無茶もしたようですから」
「いや、お前っ、なんで剣を」
「そこのそれが逃げないようにあなたを人質に取るんですよ」
 見える筈が無いのに。
 シモナが指すのは、宙に浮かぶカシマだった。


「ほら、シモナ君も一回種飲んだし。その時に張った根が残ってるんだと思う。で、君が見ているものを電波のように受信できると」
「あー。なるほど」
 和やかに談笑しているように思えるが、現在進行形で喉元にグラディウスがあり、シモナの気まぐれ次第では首が飛ぶ。そんなことはありえないとも思っているから談笑のような会話になるのだが。
「二人とももう少し真面目にお願いします。調書を書くのは私なんですから」
 ベッドサイドのテーブルに、小難しいことが書かれた用紙がある。どうやら機関が襲撃された件の報告書らしい。
「で、何があったんだよカシマ。俺も知らないから教えて欲しいんだが」
「まあ、順を追って話すよ」
 ふと気付く。
「なあグリムは? 調書取るんならあいつも呼ばなくていいのか。グリムはあの男のことを知ってるみたいだったし」
 俺の言葉に二人は顔を見合わせた。カシマがばつの悪そうな顔を、シモナが気の毒そうな顔をする。
「グリムは何処にもいませんでした。現在も行方が分かりません」
「……え?」



 機関から延々と続く農道を歩いていくと、街に出る前に一つの教会がある。管理者がいなくなってからは農具の収納にしか使われていないその教会に、彼女の姿は在った。
「…………」
 捨てられてから幾年も経過しているこの建物は雨漏りがひどい。グリムは説教台の下で蹲りながら、ボンヤリと何かを眺めていた。
 十字架だ。銀や銅のものならとうの昔に持ち去られていただろうが、この教会のものは石膏だった。グリムは十字架に磔にされた男が何を考えているか想像してみようとしたが、やはり無理だった。
「真久は」
 恐らく自分に最も近づいた人物。彼の考えも分からなかったのに、名も知らぬ磔になった男が何を思うのかなど思いつくはずも無い。
「化物だ」
 彼が発する光が赤色に変わったは初めてのことではない。グリムの知る限りでも、クラウディアへの最後の一撃は赤く光っていた。だが問題は光の色などではない。
 喉を刺された後、起き上がった真久は人間ではなかった。根のような触手が傷口を塞ぎ、圧倒的な力で敵を追い払った。速さと力は人間の域を超えていないが、威圧感に関してはクラウディアやギコウ、正光を超えていた。
「何が相棒だ。化物の癖に」
 化物は自分を最強だと思っていたグリムに、最強になるべくして作られたグリムに、大きな衝撃を与えた存在だった。自分を負かす存在。
 つまり、最強という彼女の存在意義を無くす存在。
 それが化物だった。
「どうしよう、これから―――」
 捨てられてからのギコウのように生活すればいいのだろうか。
「どうしたんだい嬢ちゃん。そんなところにいたら風邪をひいてしまうよ」
 若い男の、すこしだけイタリア語に慣れていないような声だった。その声を発した存在にグリムが振り向く間もなく、それは彼女の眼前に降り立った。
「プランBに移る事にした。やっぱり準備は大事だよな?」
「お、まえ、は」
「きぃははははははっ! いい! いいぜその顔! まさに絶望って感じだぁオイ!」
 体中に包帯を巻き、白衣を纏ったその男の両腕は完全にムカデで構成されていた。ただ一度しか会ったことはないその男だが、その名を忘れることは生涯無い筈。
「新山正光」
「そうとも! 俺の野望の為、身体を提供してもらいに来たぜえ!?」



 あの馬鹿が本気でどこかへ逃げたのなら、誰にも見つけられない気がする。それならば、少しでもあいつを知っている奴から情報を聞き出す方が有効なはずだ。
「で、グリムの行きそうなところに心当たりはないか?」
「ある訳無いだろう」
 点滴を済ませて向かったのは機関の本部。その地下の、本来ならグリムが幽閉されている場所には背の高い青年がいた。両手の手首から先が無いその男の名はギコウ。正光の養子らしい。
「無いって事も無いだろう。何か行き違いがあるだけで、昔は仲良かったんだろうお前ら?」
「何も知らないようだな。僕とグリムの間柄を一言で言うなら血で血を洗う関係さ。僕はグリムの敵として作られたし、グリムは敵と戦うように設定された機械だった。
 そもそもグリムが自我を持ったのはこの半年のことだろう。僕に聞くのが間違ってるのさ」
 一理ある。いや、一理どころじゃないな。こいつに聞いても仕方ないのは確かか。
「お前、何で正光なんかの養子になったんだ?」
「父さんを馬鹿にするな。グリムには勝てなかったが、お前になら勝てる」
「手があったら、だろ」
 腕があったとしても今の状況では無理だろう。ギコウは両足と首をそれぞれ別の鎖で繋がれ、腕は止血されて拘束衣の中にある。俺と話しているから外されているが、本当なら口枷もある。
「無くてもだ」
「言ってろ。
 で、本当に何でだよ。あいつが人殺しの化物だって知ってのことか」
「ああ」
 ギコウはさも当然のように答えた。
「お前、やっぱどうかしてるよ」
「全てを奪われた僕に、新しい名前と力をくれた。それだけであの人に一生付いていける」
 教育は大事だ。それ次第では、ここまでの社会不適格者が誕生する。
「それに殺人なんて大した問題じゃない。どうせ俺が苦しんでいる間にビール飲みながらサッカーでも見ていた奴らだ。僕が殺した奴らもそうさ!」
「……お前、人殺したのか」
「ああ、手足ねじ切って何人も殺してやったさ」
 あの事件の犯人はこいつだったか。
 ルキノ警部の手柄にでもしてやろうと考え、部屋を立ち去ることにする。こいつがグリムのことを知っているわけがなかったのだ。
「お前にゃ一生分かんねえよ」
「何だと」
「グリムは肉も食わないくらいの潔癖症だ。そんな奴のことが、お前みたいなケダモノに分かって堪るか」
 ギコウが何か言う前に口枷をし、部屋を出た。


 階段を登ると、俺を見つけたシモナが駆け寄ってきた。
「仕事です、正光が出ました!」
「何?」
 いつも何かが休ませてくれない。
 シモナの車がある駐車場に向かって走りながら思う。隣にシモナがいて、体内にカシマがいるのに、寂しいと思うのは何故だろうと。


ЯR


 車の中で状況を整理する。
「戦いに向かえるのは私達二人と、地元の警官隊だけです」
「人手不足極まれりだな。マジで」
「他の機関員は別の仕事です。というか、機関に襲撃があった日から人員の配置は変わっていません。私が帰ってきたくらいです」
「ハロルドは?」
「あなたが気絶している間に、彼も病院へ運ばれました。入院中です」
 それで正光を相手にする。
 確かに、正光は二人だけで倒したこともある相手だ。しかしあれはまだ半人半妖の怪異だった頃の話。次の、妖怪化した正光との戦いはカシマが割り込まなければ死んでいた。
 今はどうだろうか。
 俺は強くなって、シモナの傷も治って、おまけに正光は完全には回復していないらしい。
 それなのに勝てる気がしない。
「考えすぎだといいね」
「ああ」
「そこ、急に出ないように。運転の邪魔です」
 カシマが正光に勝てたのも、力を吸い取ることができたから。今の正光が持つ力は樫魔とは別の供給源らしいので、あまり役に立たない。
「つっても、正光も勝算あって動いてるのか?」
 たった一人で何をしようというのか。

 そんなことを言っていられるのも、現場に着くまでだったのだけど。

 平均速度が三桁なのは間違いないシモナの運転から解放された俺が見たのは、国家の危機のような騒動だった。
「おいおいおい……これ全部あいつがやったってのか? 俺らの他にも退魔機関があるんだろう?」
 場所はヴァチカンにある教会の一つだった。といってもあまり大きなものではない。ただ歴史的価値が物凄くあるらしいその教会は、御園市の病院のようになっていた。
 白いはずの教会が赤く染まっているのは、中で祈りを捧げていた人達や観光客が塗料になったものだろう。
「今日はローマ法王がとある地へ赴いている日です。我々は全員出払っていますし、他の、仕事の無い退魔機関は法王の警護に行っている筈です。元々大した数も居ませんし」
「警官隊は?」
「私達を待つことなく突入し、今は連絡が途絶えているようです」
「糞、わきまえろよ」
 大量の血液は警察の足を止めることはできず、逆に早めるものとなった。普通の事件はそれでいいかもしれないが、これはあまりに普通じゃない。
「踏み込むか?」
「答えは決まっているでしょう」
 赤いスポーツカーを降りたシモナの軍靴がアスファルトを叩き、小気味良い音を鳴らす。俺のスニーカーもそれに続いた。
 拳と剣。それぞれの武器を持って、驚く警官達を尻目に、開け放たれた扉の前に来た。ここから先は赤色の戦場。奴が何をしてきてもおかしくない場所だ。
 だが、俺たちが見たのは予想だにしていなかったもの。
「やっと来たかお前ら」
 そう言ったのは、軍服を黒くしたような服装で、弾装をいくつも取り付けたタクティカルベストを着て、短機関銃を持った警官隊。リーダー格らしい、少し歳のいった黒人の男だった。
「あれ? 突入して、しかも連絡が途絶えたって……」
「ああ、マックの馬鹿が通信機落としちまってな。元々壊れかけた古いやつだったし、完全にいかれちまった」
「正光は、どうなったんだ? 全身に包帯を巻いたここを襲った化物だ。もしかすると髭面の白スーツだったかもしれないが」
 男は首を振った。
「いなかった。この建物の中には誰もな。
 何故かは知らんがでかい十字架が無くなっていて、そこにこんなのが落ちていた」
 俺の目の前に差し出されたのは一枚の紙。和紙に、墨と筆で文字と図が書かれているものだ。
「多分日本語か中国語の筆記体だと思うんだが、お前読めるか?」
 草書体で書かれた文字を解読し、意味を理解した俺は硬直。
 硬直はすぐ激怒に変わった。
「野郎……!」
 紙にはこう書かれていた。
『グリムを助けたければここへ来い』

 思い描く中でも最悪の部類に入る展開に、俺は壁を殴りつけた。



 三人がいるのは、過疎が進んで廃村になった村にある、誰からも忘れ去られた遺跡だった。これまた廃村になりそうな隣村の図書館に行けば、この遺跡に関する本が一冊だけある。
 その本には『言い伝えによると、遺跡は六百年前に現れた悪魔を封じたものであり、その封印を護る者達が住み着いて村になったという。』とあった。
 五メートルほどの大岩を中心にして、直径七十五メートルの範囲に岩が点々と置かれている。
 しみったれた所だ。こんな所であいつと決着を着けることになるとは。
「惜しいな。オーディエンスがいねえ」
 大岩の上に胡坐をかいた男、正光は言った。
 今の彼の姿は、御園市にいた時とも、浄化機関に出た時とも違っている。皮膚(というよりムカデ)が露出しないように巻いた白い包帯や、医者が着るような白衣は変わらない。ただ、今の彼は包帯ではなく服に身を包んでいた。黒いスラックスとワイシャツ、足元は革靴。包帯さえなければ医者と変わらぬ姿だ。
 もしかすると、過去に医者だったことがあるのかもしれない。
「真久は来ないぞ化物」
 大岩に固定された十字架から声がする。そこには、磔にされたグリムがいた。
「へーぇ、また何でだ?」
「あいつは化物だ。あたしを助けになど来るものか」
「ハハッ! 知ってるさ、あいつは半人半魔の化物。あいつの体内には、俺のムカデなんかとは比べ物にならない化物がいる。紀元前どころか、皇紀より前から存在する化物の中の化物がな」
 そう言って正光は手の中の物をだらだらと振り回す。
「だがあいつの凄え所は、そんな化物と共生してる所でな。あいつは自分の意思で動き回れるんだ。そうでないと面白くねえ。カシマだけじゃなく、真久も殺してえからな。ついでにあのシスターも」
 そう言って正光は笑い、グリムも表情を変えた。それが表すものは困惑。
「あいつに人間の意思が……いや、でもあいつは化物で……」
「義光よぉ。お前のお友達は随分と頭の回転が遅いみたいだな」
「まあ、昔から自分で考えることをしない奴だったしね」
 少し離れた場所で見張りをしているのは、正光の義理の息子。ギコウというのは、義光の発音が難しかったためのニックネームのようなもなのだ。
 機関に捕らえられているはずの彼は、作業服のような灰色の囚人服を着て、失った両手には義手が装着されていた。
「でも、グリムの言うことも一理あるよ。化物とか関係なく、奴らは本当に来るのかな。来たとしても、桑野真久とシモナ・グルックだけじゃないと思うけど」
「問題ねえ。誰が来ようと、全員殺すさ。腕のいい奴は法王の警備に行ってるしな」
 それに、と。正光が振り回していたものを掲げる。
 それは黒曜石のような素材で出来た、一振りの剣だ。刃渡りは約一メートル。鍔も血抜き溝も無い、原始的なつくりをしている。
「これがあれば、どんな奴にも負けねえよ」



 俺とシモナを乗せたスポーツカーは砂埃を上げて急停車し、目的地である廃村に着いた。俺達以外に動ける退魔士は居らず、警官隊がいても仕方が無いので同行していない。軍隊くらいなら、なんとかなるだろうか。
「行くぞ」
「真久、あの、少し冷静になりませんか」
 車が止まるなり飛び出す俺を、言い難そうにシモナが諌めた。
「糞、落ち着いていられるか!」
「ですが敵はただの化物ではなく新山正光。慎重にならなければ危険です」
「グリムが、あいつが捕まってるんだ。菰野みたいに化物にされてたらどうする? いや、それならまだいい。あの入院患者達みたいにされてたら? 治せないんだ! 意思の力でもあれは治せない!」
「…………。
 カシマからも何か言ってくれませんか」
 カシマは現れず、声だけがした。
「真久君の力は意思の力、今は強い意思に溢れかえってるみたいだし、僕から言うことは特には……」
「使えない」
 容赦なくシモナは言う。
「ただ、心配するシモナ君を無碍にするのは感心できないな。
 それだけだよ」
 それだけ言って、カシマは問い合わせに応じなくなった。
 頭を振ってシモナを見る。
「……悪い」
「いえ。グリムはあなたの弟子です。取り乱す気持ちも分かります」
「弟子じゃない」
 え? と疑問符を返すシモナに答えた。
「仲間だ」
 熱くするべきは頭ではない。心だ。
 拳を握り締め、正光が待っているであろう遺跡へ向かった。



 まるで闘技場だな。
 それが、大岩を中心として円形にいくつもの石が並ぶ遺跡を見た感想だった。随所に松明が立てられ、遺跡全体がライトアップされている。駆け出したくなる気持ちを抑えて歩いていくと、大岩に座る正光や磔にされたグリムの姿が見えた。
「グリム!」
「ヒャーーッハハハァッ! 来たか真久! お前なら来てくれると思ったぜ」
「馬鹿なことを。当たり前だろうが!」
 そう言うと、正光は顔中に包帯を巻いていても分かる笑顔を作った。
「だとよグリム。聞いたか?」
「………っ」
 磔にされたグリムは、何故か俺から目を逸らす。訳が分からない。
「こいつはよお」
 大岩の上で胡坐をかいたまま、正光が言う。
「お前のことを化物だっつってな。化物だから、自分を助けに来ないなんて言ってたんだぜ? 逃げ出したのも、お前を恐れてのことだろうよ」
「言うに事欠いてそれか。グリム、お前も何とか……
 …………グリム?」
 グリムは喋らない。口を閉ざしたまま、俯いているだけだ。それは暗に、正光の言ったことが事実だということを表している。
 と、肩に手が乗せられた。シモナだ。
「真久……」
 シモナとの付き合いは長くはないが、深い。彼女の言わんとしていることは分かった。その手に自らの手を重ねる。
 そして俺は、シモナでなくグリムに言う。
 いや、叫ぶ。
「ふざけんじゃねえぞテメエ! 罵り合って、殴り合って、助け合って! あれが全部嘘か! ああ?
 確かに俺は化物みたいなもんさ、心臓にも脳の隙間にもやばいのがびっしりだよ!
 だがそれが何だ! 身体ん中に化物がいるってだけで全部パーか、そんなに俺達は浅い関係だったか!」
 ビシッ、と。右拳をグリムに向けた。
「正光を倒したら、次はテメエだ。きっちり決着つけてやるよ、グリム!」
 胸に湧き上がるのは、悲しさでも寂しさでもなく、怒り。正光へのものとあわせると、カシマがいなくても意思の力が赤く染まりそうだ。
 肩に乗せられた、重ねた手をぐっと握る。
「やるぞシモナ」
「はい、真久」
 シモナは肩に乗せた手に一度強く力を入れると、一歩離れ、グラディウスを中段に構える。
 俺も手足に青い光を纏う。左肘を鳩尾の高さに、左拳は腕を水平にした状態から拳一個分上げた位置に。右拳を顎の前に構える。次いで、カシマの力で光が赤く染まった。
「ハハッ、まあ熱くなるなよ。まだ俺との戦いじゃねえ」
「そう、お前達など俺一人で十分だ」
 俺達の背後、石の陰に隠れていたのであろう人物が姿を現した。返り血で灰色の囚人服を汚した男、ギコウだ。機関に捕らえられていた筈なのに。何故ここにいるのか。いや、返り血がついている時点で答えは分かっている。
 グリムに千切られたというその両手には、刃がある。左には、鈎状のものが四本。右には、剣鉈のような、分厚い鉈のようなのに先端が鋭く尖ったものが一本。それらは金具によって直接骨に固定されている、日常生活のことを全く考えていない、凶悪な義手だった。
「俺に意思の力は効かない。体術はお前を上回る。
 この新しい手で、ズタズタにしてやる!」
 ギコウは雄叫びを上げて切り掛かってきた。
 最初は、右の剣鉈による上段への切り下ろし。入り身してそれをかわすと、左の鈎爪による横振りが迫って来ていた。入り身してしまっているから飛び退くことが間に合わず、受ければ腕が切り裂かれるだろう。
「ゼアアアッ!」
「でぇい!」
 俺は防御も回避も選択しない。その場から全身全霊を込めた左の正拳突きを放っていた。
 人差し指と中指の拳頭が、ギコウの胸骨を砕く感触を伝える。
 本来なら俺を切り裂いたであろう鈎爪はやって来なかった。
「左へ」
 すぐ後ろ、一歩間違えば俺の右肘が危ない位置でシモナが振り下ろしたグラディウスに切り飛ばされていたからだ。
 俺はシモナの要求を果たすべく、奴の右手首を左手で取った。そこで足を一歩前に出させる崩しの動作を入れ、右手で奴の右肘を取り、振り返るように回転。これでシモナの要求どおり、ギコウの身体はシモナから見て左に来た。
「ハッ!」
 気合は一つ、剣は五閃。シモナはギコウの両脚と右腕、多少残っていた左腕を切り落とし、臍の辺りを横一文字に切り払っていた。
 ギコウは芋虫のような姿で地面に投げ出され、臓物をぶち撒ける。化物だから、生きるか死ぬかは運次第。戦闘不能なのは確かだ。
「分かってただろ正光、俺だけでなく、シモナまで相手にしてこいつに勝てるわけないって」
「まあな。テストみたいなもんだ。怪我も無く、腕も落ちていないようで安心した」
 正光は大岩から降り、石剣に舌を這わせた。唾液に濡れ、黒曜石が怪しく輝く。
 硬度はともかく、武器にするには靭性が明らかに不足しているその剣で、どうやって戦うというのか。あんなもの、シモナのグラディウスと打ち合えば粉々に砕け散り、俺の鎖帷子を貫くことも出来ないだろう。
「ところで――――――」
 心底面白そうに、正光が言う。
「――――――不思議に思わないか? 何故俺がこうも早く復活できたのか。
 機関での戦いは俺にとっても綱渡りのようなものだった。未だに俺のベースになっている人体は骨と皮ばかりだし、カシマに奪われたムカデも数が少なかった。杖無しで活動できる時間も微々たる物だった。
 だが、今の俺はどう見える?」
 新しく手に入れた玩具を自慢するような饒舌さで正光は語る。
 駄目だ。嫌な予感がする。この声を聞いていたくない。
 早く奴を仕留めなければ。
「慌てるな、話は最後まで……」
 上段蹴りが赤い軌跡を描き、正光の顔面をこそぎ取る。顔を覆っていた包帯は解け、意思の力によってムカデも散っていく。人体模型のように顔の筋肉をむき出しにした正光へ追撃。目を切り払うような右肘打ち、奥襟を掴んでの両脇腹への膝蹴り。蹴飛ばすように横蹴りをすると、シモナが肉薄し、胴体を横振りで真っ二つにした後脳天から唐竹割り。正光は四つの肉塊と化す。
「……やったか」
「手応えは。しかしどうにも妙です。なぜ正光は回避も防御もしなかった?
 まるで、自分が死なないとでもいうような振る舞いでした」
 正光の死体を確認する。顔面と脇腹、鳩尾が意思の力で壊死したようになり、グラディウスによって見事に四分割された死体。どこかで見たことがある光景だと感じた。
「真久!」
 そして既視感は続く。死体の断面から生えたムカデは結びつき、壊死した部分は崩れて新しいムカデや包帯、衣服に覆われる。
 まるで、あの球場で戦ったカシマのように。
「カシマ……みてえだろ?」
「んな、馬鹿な」
 正光は立ち上がり、両手を広げて天を仰ぐ。
「言いたい事は分かるぜ。俺もあの件は徹底的に調べ上げたからな。
 カシマ、つーか樫守のあの力は、樫魔あってのもの。無限にも等しいような力が送られてこなけりゃ不可能な芸当だ」
 訳が分からない。いや、理性が理解を拒んでいる。
 正光の言うことが正しいのなら、奴はどうやってか樫魔並みの力を得ていることになる。樫守を倒せたのは銀杏があったからだし、もう一度樫魔のような化物と戦うなど、考えるだけで恐ろしい。
「で、だ。俺はこう考えた。樫守のようになるためにな。
 世界中探し回れば、樫魔のような化物もいないことは無いだろう。強大な力を持つが封じられ、身動きが取れないような化物がな。
 俺はこの地でその化物を見つけた。あとは、どうにかしてそいつから力を引き出すだけ。それで俺は完成する」
 体内でカシマが「ありえない」と叫ぶ。「眷属が別の主から力を得ることなど」と続けた。
 カシマの力が残る正光にもその声が聞こえたようだ。
「確かに、その問題はどうやってもクリアできなかった。封じられている、山羊みたいな化物から力を奪うことが出来ても、使うことが出来ない。
 だから一時は諦めて、肉体を人間に切り替えるなんて姑息な方法でお前を倒そうと考えたわけだ。惨めたらしくな。
 だが問題は、この嬢ちゃんが解決した」
 正光が石剣で指すのは、磔にされたグリム。
「簡単に言うとこの嬢ちゃんは変換器だ。封じられている化物の力を、化物なら誰でも使える力に変換する。知ってるか? お前の使ってる意思の力ってのは、俺らの力と殆んど変わらねえ。だからこんな芸当も出来るんだろうな」
 絶句する俺に、正光は笑い、言った。
「真久よぉ、ガキに意思の力なんて教えるんじゃなかったな」


ЯR


 正光の腕から伸びたムカデが残像を伴って真久を襲い、弄ぶように瞼の表面を裂く。頭部と脚にダメージが蓄積され、ふらつく真久は、自らの血液によって視界まで制限されることになった。
 もうやめろ、バカ、逃げろ。
 グリムは黙っていたが、その心中は荒れ狂い、真久に対する暴言を吐き連ねていた。体内を穢れた力が駆け巡り、それが吸い取られていく際には徐々に激痛を伴うようになっていったが、そんなことは気にならなかった。
 グリムの心の中にはただ一人、桑野真久がいるだけだ。
 バカ、ウスノロ、そんな攻撃くらいやがって。クラウディアみたいに手加減しなくていい相手に、何をもたついている。
「動きがトロくなってきたか? どうした!」
 シモナとのコンビネーションも精細を欠き、正光を捉えることが出来ない。例え出来ても、一秒としないうちに回復するのだ。
 大量のムカデが滅茶苦茶に暴れ回り、鞭のように二人を襲う。
 正光が力を使ったので、痛みがグリムの体を蝕んだ。
「つまんねえ、つまんねェぞコラ! 突いてこい! 斬ってこい!
 根性見せろ退魔士ども!」
 グリムは声を上げそうになった。正光の手から指のように伸ばされたムカデが、二人の身体を貫いたのだ。真久に六本、シモナに四本。致命傷にはなっていないものの、勝負が続けられるとは思えない。
「ハッハァ!」
 ムカデが引き抜かれ、呻き声と共に二人が地に伏す。
 真久は立ち上がろうとするが、右足に全く力が入らずにこけてしまう。
 無理だ! グリムはそう叫びたかった。靭帯とアキレス腱を貫かれて、立てるわけがないと。
 なのに、
「(何故だ!?)」
 だというのに、真久は立ち上がるのだ。左足に体重の殆んどを乗せ、片足立ちのように立つ。掌も貫かれて拳をつくれないというのに、半開きの手で構えをつくってみせる。
 辛いことからは逃げればいい。逃げられなければ諦めればいい。どうしようもないことなら、誰も責めはしないだろう。
 その時、グリムは気付いた。真久が口を小さく動かして、何かを呟いているのに。
「念仏でも唱えてんのか?」
 正光が蚊でも叩くような気楽さでムカデを振るう。グリムの思うとおりなら、真久はそれを避けられずにまた一つ傷を増やすだろう。
「邪魔だって、言ったんだよ」
 真久は襲い来るムカデを片手で掴んでいた。そのまま、掴んだ手が赤く光ったかと思うと、ムカデばかりか正光の腕までが燃え上がる。
「っだとぉ?」
「邪魔だ正光。お前が居たら、グリムのとこへ行けないだろうが! お前と戦ってる暇なんて俺には無いんだよ!」
 正光は怒り、ムカデでもって真久を締め上げる。それでも、真久の視線はグリムから外れなかった。
「いつかお前は、俺がなんだか聞いたよな。今それに答えてやるよ。
 俺は人間だ。
 祖父の孫であり弟子で、両親の子で、葛西や菰野の友人で、社長の下で働く労働者で、ハロルド・鳳とは同僚で。ありがたいことに、シモナなんかはどうやら俺のことを好いてくれているらしくて。少なくとも俺はお前を仲間だと思っていて。
 人間ていう字は……あとで日本語も教えてやるよ。人間ていう字は、人の間と書く。ヒトとヒトとの関係、その枠組に入っている物を人間と言うんだと思う。
 だとしたらだ、グリム!
 例え俺が化物でも、シモナやお前の間に居れば、人間じゃねえか!」
 そう言うと真久は、締め上げられた状態で、何十本ものムカデに串刺しにされた。
 貫かれた場所は喉や心臓、肝臓、肺など。致命傷がいくつあるか分からない。だが、グリムは冷静だった。
 グリムは思う。
 自分は今までずっと、暗い森の中で一人彷徨っていた。
 少し前から、闇から現れた手が自分を導いてくれるようになった。

 そして今、夜が明けたのだ。

 眼前には、進むべき一本の道があるのみ。
「真久、剣だ!」
 簡潔な言葉だが、これで十分だ。真久なら、自分を仲間と言った男なら、この言葉だけで理解する。
 真久は動いた。赤く眩く輝き、ムカデを紙のように引き千切って正光に肉薄。指が切り落とされそうなほど強く、濡れたように輝く石剣を握っていた。



 グリムの言葉に従い正光の剣を握ると、瞬く間に傷が完治し、底なしに力が湧いてくる。俺の身体は正光と本質的には変わらない。化物と人間の比率が違うだけだ。それになにより、こっちには専門家がいる。
「ふん、力を引き出すのはいいけど、獣臭くて仕方ない。かといって、グリム君の負担は減らさないわけにはいかない」
「頼む」
 正光は樫守のようになると言ったが、こっちにはそのものずばり本人がいるのだ。カシマはグリムへの負担を最小限に、遺跡に眠る化物から力を引き出す。
「放しやがれ糞がァッ!」
「ああ、ほらよ」
 掌と拳で挟み、石剣を砕いて放す。力を受けるためには受信機が必要で、その役割を果たすのが石剣だったのだろう。強度は普通の黒曜石と変わらない骨董品だったので、剣は脆くも崩れ去り、力の供給は止まった。
「畜生ォオオッ! さねヒガッ!?」
 俺の名を叫ぼうとした正光の顎をカチ上げて舌を切る。
 頭頂・眉間・人中・顎・喉仏・鎖骨の間・首筋・両鎖骨・両脇・両肩・両肘・両手首・鳩尾・下腹部・股関節・大腿・膝・脛。
 全てに赤く光る拳を打ち込み、頭から順に正光を消し飛ばしていく。化物からの供給があり、力が有り余っている今だからこそ出来る芸当だった。
 最後に残ったのは両足。右のものは左足で踏みつけ、もう片方は爪先で中に蹴り上げる。拳を引いて大きくタメをつくり、落下するそれを打ち抜く。
 正光の最後の肉片は赤い灰となって、闇に彗星の尾のような赤い筋を残した。




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